【\】知りたかった事
学校の授業が終わる。
今は気持ちも晴れている。
今日こそは、咲也に答えを言えると思った。
咲也の家は知っている。それに、自分がその場所に行く事をもしかしたら知っているかもしれない。
だったら尚更自分が逃げる訳にはいかないと思った。
これは、多分…咲也が持ち込んだ賭けだ。
咲也が見ている世界を自分が見る為には、自分がその賭けにのるしかなかった。
咲也が自分に渡した選択肢は、いくら考えても自分には一つにしか見えない。
自分は前に進む事しか知らないんだ。
「今日こそ行ってやる」
タイミングを逃す訳にはいかないのだ。
とうとう来てしまった……。
目の前には扉がある。
あの時までは、難なく開ける事が出来た扉なのに。
今は手すら伸ばす事が出来ない。
『あの方に会いに来たのでしょう…?』
どこからともなく声が聞こえる。
「?」
いったい何処から聞こえてくるものなのか―…。
辺りを見渡すが、人の姿など見えない。
『扉は開いています。開けないのですか…?』
確実に声は聞こえるのに、その声の持ち主が見当たらない。
本当に…このはっきり聞こえる声は、何処から聞こえるのか。
全く判らない。
『あの方は、ずっと待っていますよ…?』
さっきから話しかけてくる声が言っている『あの方』とは、間違い無く咲也だと直感が伝える。
「咲也が…」
それは本当だろうかと思った。
『あの方を助けて下さい。貴方にしか出来ない方法で…』
その声は和博の疑問には肯定も否定もせず、話しかけてくる。
誰が誰を助けるというのか…。
助けて欲しいのは自分だと思っていたのに。
いつも、その身から自信が溢れているように、自分には見えたのだ。
「あいつはそんなに弱くないハズだ…」
呟くように言う。
この言葉は、誰だか知らないが自分に話しかけてくる相手に聞こえているのだろうか?
『あの人は…。優しすぎる人なのです』
この声の持ち主は、自分が見えない部分を知っているようだった。
それだけその人物をよく見ているのだ。
「大好きなんだな。あいつの事が…」
心配されているのは自分ではないのに、自分の事のように嬉しく思う。
『愛しています、心から。……あの方は私達の全てですから』
それは、心からのセリフ。
「あいつは幸せ者だな…」
その幸せそうな声を聞いた感想だった。
誰の声かはまだ判らない。
でも、これだけ咲也の事を心配して、愛しそうに話すのだ。
嘘とは思えないくらいに。
それさえ解かれば、自分がこの声を信じるのに十分だった。
「あいつはここに居るんだな?」
目には見えないが、必ずこの場所に存在する誰かに向かって言った。
『はい…』
静かに聞こえる声。
今まで戸惑っていた手がすんなりと動く。
扉のノブに手をかける。
『貴方にすべてを任せます……』
この声の持ち主は、自分の事よりも咲也の事を一番に考えているハズだ。
多分…その言葉は自分を信じているからこそだろう。
「おう…。任せておけ!」
自分の答えはこの声を聞く前から決まっている。そして、この声を聞いた今でも変わってなどいなかった。
自分は前に進むだけだ。前に扉があるのなら、それを開くしかない。
扉を開いて中へと踏み込んだ。
扉は自分が動かしている訳でもないのに、いきなり扉が音をたてはじめた。
「えっ…?」
後ろへ振り向くと扉が完全に閉まっていた。
一体何がおこったのか…。
現状をうまく理解できないでいる。
今まで遊びに来ていて、こんな事など一度も無かったハズ…。
「おかしいなぁ」
呟きながら正面に向きなおす。
しかし、そこには更に驚く事が待っていた。
なんと…そこには今まで見た事の無い風景が広がっていたのだった。
「うっ……」
ここまでくると、もう何も言えなくなる。
自分が開けた扉は咲也の家のハズだ。
なのに、ここはどこだろう…?
辺り一面に広がる風景は、部屋の中では絶対にありえない光景だった。
見渡す限り木々が生い茂っている。
林と言うよりは、森と言った方が良いのではないだろうかと思わせる。
小鳥の囀りが聞こえ、木漏れ日が差し込んでくる。
自分がハイキングに来ているのなら、最高の場所に違いなかった。
だが、今はハイキングに来ているのではないのだ。
思い出したように後ろを振り返るが、自分が入って来た筈の扉すらない。
「ここは…いったい何処なんだ……」
まだ自分の中で状況の整理がきちんと出来ていない。
自分が言える精一杯の言葉だった。
その時だった。
「答えが見付かったか…?」
正面にある木々の間から人が出て来た。
それは間違いなく、咲也本人―…。
咲也は自分と大きく距離をもって立ち止まった。
よって、自分から詳しく表情を見る事が出来ない。
しかし格好だけは知る事が出来たのだが…。
今まで見た事も無い服装。
黒いシャツを着て、黒いズボンに黒のサスペンダーで止めている。その上からは、何の素材で出来ているのかここからでは判らなかったが、透き通る裾の長いコートを羽織っていた。
そのコートは軽やかに裾をなびかせている。
そしてその腕の中には、片手で抱えられる位の大きさの、くまのぬいぐるみを抱いていた。
驚く以外何も言う事が出来なかった。
その服装もそうだが、あの咲也が人形を抱いて立っているのだ。
『唖然としてしまった』との説明が、この場では一番適していると、言っても過言ではないだろう。
しかしこの驚きは、これから後もとめどなく続いていくのだった。
「あかりが首を長くして待っていたぞ?」
ぬいぐるみのくまに視線を移して言う。
「おい…あかりちゃんは、おまえの妹だろ…?それはあかりちゃんではないぞ。それ以前に人間ですらないんだ。…解かってんのか?咲也」
学校に来なかったのは、彼が病弱だからではなく、精神的に大変な事になる人だからではないかと、ふと思った。
「解かっているさ。だから、これがあかりだ」
解かってなんかないだろ…と、思う。
自分から見たら、これはぬいぐるみでしかない。
普通に彼を見ると普通ではないとしか、言いようがなかった。
人形を自分の妹と間違えるくらいだ。
過去に何かがあったのだろうか…?と考える。
「驚くだろう…?」
驚くもなにも…、咲也が正気なのかすら疑問に思えているのに。
さらに…自分だって、この風景を異常だと思わず素直に受け入れているという時点で、終わっているのではないかと思う。
しかし、ここまで来れば、なにがどうなっているのかうまく収集が出来なくなってきて…。
「……部屋の内装を変えたのか?」
全く関係の無い事を聞く和博に咲也は苦笑する。
『そうとう困っている御様子ですよ?』
咲也の声でも、あかりの声でもない。ましてや自分の声でもない声が聞こえた。
辺りを見回してみる。
木の後ろに隠れていたのか、一人の女の人が出てきて、咲也の立っている場所へと向かう。
軽くウェーブのかかった腰にまで届く髪を、軽やかになびかせて、その場所からこちらに近付いてくる。
木漏れ日に照らされた髪は濃い緑色に見え、木陰を歩いている時のそれは綺麗な黒い髪をしている。
年齢は、自分よりも少し離れて上だろうか?と、思った。
……と、言う事は……?
「あの……。咲也のお姉さん…ですか?」
もう何が何だか解からない。
「いいえ…」
綺麗な笑みを返してくれた。
ならこの人は何なんだ。
「この人は華菜というんだ」
咲也が紹介する。
どのような関係かは、言ってはくれなかったが…。
「初めて御目に掛ります。華菜と申します…」
深々と自分に対して頭を下げてくる。
その時思い出した。
あの、扉の前に立ち止まっている時に聞こえた声と同じ声だという事に。
驚きはしたが、今までずっと驚いた表情から変わっていない自分だ。驚いた所で相手に知れる事はもう無かった。
しかし、この華菜という人物、先程まで自分と話していた筈なのに、「はじめまして」と自分に言ってきたのだ。
考えられない頭で、一生懸命に思考回路を回転させる。
考えた末、自分も「はじめまして」と言う事にした。
「はじめまして。俺の名前は森 和博です」
その返答に華菜は、嬉しそうに笑った。
「知り合いか?」
咲也が華菜に尋ねる。
「いいえ。初めてですよ……?」
軽やかに笑う。
華菜は「ところで…」と、和博を見て話をもとに戻す。
「ところで…咲也……。この子が手にした答えを御聴きになりました?」
咲也は答えなかった。
自分は…というと、それを聞いた途端に緊張してしまい…。何も言葉が出ない。
その気まずい空間を破ったのは華菜だった。
華菜は和博の所へと歩いてくる。
和博の後ろに立ち両手を肩に乗せ、耳元で優しく言った。
「さぁ…。話してごらんなさい…?貴方の思うように…。この方は、貴方の意志を全て尊重しますよ」
そのセリフに聞き覚えがあった。
あの時、自分が扉を開ける為の、最後の勇気をくれた言葉だった。
また…。
この人の言葉が自分の背中を押してくれる。
咲也は和博を黙って見ている。
その表情には、先程華菜さんが言っていた脆い部分など欠片も無い。
誰も喋らない。しかし先程のような気まずい雰囲気ではないこの空間に聞こえるのは、小鳥の囀りや木葉のざわめき等の自然の唄だけだった。
それらは、状況を把握しきれていない自分の心を、十分に落ち着かせてくれた。
「…咲也は俺に選択肢を一つしか与えなかっただろう……」
ようやく口にする事の出来た言葉。
そのセリフに咲也は驚き、否定した。
「無視しろと言った筈だ」
「それがもう一つの選択肢か?……そんな事が…、そんな事が、俺に出来るとでも思って言っていたのか?!」
自分でも怒鳴るとは思っていなかった。
でも、これは本当の事だ。
「あんな、存在を見せ付けるようにしか思えない現象をだぞ?…俺には、そんな芸当は出来ない」
咲也はまだ黙って見ている。
その様子を、華菜は目を細めて見ていた。
その表情は微笑みでいっぱいだ。
「俺が今までずっと考えていたのは、与えられた賭け…選択肢がいくら考えても一つしか見えなかったからだ」
華菜は咲也の方を見ている。
この言葉で救われるだろうか…?と。
咲也の表情は、いつもと変わっていなかった。
でも、それこそが自分達の望んだ結果だったから…、非常に嬉しくなる。
「一つしかない選択肢なのに、選べと提示されてみろ。どうすれば良いかなんて…、選ぶなんて事出来ないだろう?…しかもだぞ……?そのたった一つの選択肢を手にするにしたって、自分の手では一生懸命伸ばしても届かない」
自分の掌を見詰める。
欲しいのに、手に入れる事が出来ない。
そのもどかしさ。
例えるならば…、今自分が立っている場所と咲也が立っている場所の距離のように。
見えているのに距離が遠すぎる。
「おまえが見ている場所を、自分には見る事が出来ない。でも、自分にはそこを知らない振りして通り過ぎる事だって、出来ないんだ」
「なら、どうする?」
そこでやっと咲也が口を開いて尋ねてきた。
「どうするって…?そりゃぁ…自分が行くしかないだろう?待っていても来ないんだ」
先程まで見ていた掌をおもいきり握り、咲也がいる方面に突き出す。
「手を伸ばしても届かないのなら、自分の足があるんだ。届かない分だけ進めば良い」
たったそれだけの事。
でも、それには特別の勇気が必要で――…。
和博は咲也に向かって歩き出した。
その様子を華菜は黙って見ている。
くまのぬいぐるみを抱いたままの咲也は…、一歩後ろに退いた。
「一つだけ聞きたい事がある」
和博は歩む事を止めないまま、問いかける。
「なんで…学校に来なくなった」
咲也はその問いには答えず、黙って見ているだけで…。
その代りにある人物の声がした。
「もう、用が済んだからよ」
その声に足を止める。
声が聞こえた場所は、咲也の腕の中。
その声は紛れも無くあかりちゃんの声だった。
だが、そこにいるのは人形であって……。
「さくやくんは、かずひろくんと同じ年齢じゃぁ…ないもの」
咲也が自分と同じ歳ではない事に驚いたが、それ以上の突然の出来事に声すら出てこない。
だが、ここまで異常な事が起り過ぎているのだ。
自分が自分を普通だと思う限り、目に映る事は全て普通だと思う事にする。
今聞くべきことは。
「俺より年上…?」
「まぁ…な……」
今三年生か?と聞く。
しかし、それもあっさりと否定され…。
なら、大学一年生?と尋ねたが…。
「それも違う」
否定だけして本当の年齢を言ってくれない。
一体…何歳だというのだ?
いや、そんなことよりも、どうやって咲也は自分の歳を誤魔化して転入したのだろうか。
だが……。これで本当に、咲也が年上であったことが証明されたわけだ。
理由はさておき、咲也は高校二年生を何度か経験しているというコトで…。
どうりで、勉強が出来る訳だ。
しかし、一応という事はどういう事だろう?
でも…それ以上は、今は聞かない事にする。
どの答えを手に、ここへ来たのかを言わなければ…。
自分はそれを言う為にここへ来たのだ。
もう一度歩きだし、とうとう咲也の前に立った。
「これが自分の答えだ」
この場所なら、知りたかった事も聞き逃さないハズ。
そして、欲しいモノを手に入れるのだ。
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