【Z】住む世界の変化
ある朝、咲也が目を覚ますと、枕元に小さい箱が置いてあった。
「…………」
咲也は、ただ黙ってそれを見る。
「今は…クリスマスの時期じゃないぞ―…。サンタクロース気取りか?」
この世界に長い間いながら、相手が何を考えているのかが未だに解からない。
一日が始まるという、この時から溜め息を吐くのもどうかと思うが…。この状況を目の当たりにすると、そんな事どうでもよくなってくる。
「この世界もそうだが、それならこの世界を統括している人達にも、同じ事が言える……という事か」
ベットから降りて、今日の支度を始める。
今日は平日だ。勿論学校がある。
制服をクローゼットから取り出し、着替え始めた。
「おはよぉ―…」
まだ眠たい目をこすりながら、咲也が準備した朝食が置いてあるテーブルへと向かう。
「まだ眠いか…?」
少し笑いを浮べつつも、咲也があかりに聞く。
「うん…」
こくんと頷く。
「朝食をとったら少し時間をあけて、もう一度寝たらどうだ…?今日は何も用事は入ってないだろう?」
「うん」
まだ眠気の醒めないあかりを目の前に、咲也は今朝起きた時の事を話す。
……多分、詳しく話した所で、後で聞いても憶えていないだろうから、簡単に話そう――…。
「先刻、やっと届いたよ。『贈物』が」
「おくり…もの…?」
もぐもぐと食べながら、咲也の言った事を頭で理解しようとしている。
「おくりもの…おくりもの―…」
「…それも忘れたか?」
咲也はそんなあかりを見て、困った顔をしながら小さく笑う。
「ほら…。いつだったか―…。やっと届いただろう?仕事内容の書かれた手紙が」
咲也が丁寧にあの時の事を話す。
あかりは暫くの沈黙の後に、ようやく思い出した様な態度を示した。
それを見て咲也は苦笑を浮べる。
「やっと思い出した所を悪いが、少し時間が遅かったようだ」
部屋の壁にかかっている時計を見て言う。
今なら急ぎはしないが、説明をしていると学校まで走らないと遅刻しそうな時間帯だった。
「すまないが、この話は学校が終わってから、また話す事にするよ。……ホント、俺から話を仕掛けておいて…悪かったよ」
咲也が言うと共に椅子から立ちあがり、準備を済ませてあった鞄を手に玄関へと向かった。
「ここの世界に、その姿でいる事に対しての疲れが溜まってしまったんろう…?今日はゆっくり休む事だな」
靴を履いて玄関から出て行く時に、すかさず言ってその場をあとにした。
授業が始まり、いつもの光景が繰り返されていく。
今は昼休み時間。
昼食を食堂でとり、元気に外で遊んでいる人もいれば、教室で遊んでいる人もいる。
それぞれに昼の長い休み時間を満喫していた。
「咲也ぁ…。今日のライティング…なんだけど……」
和博が苦笑いをしながら咲也の所にやってくる。
今日の授業予定範囲は、新たに文法を紹介してあるページだった。
宿題のページはいつもこなして来ているのだが……。
いつも予習をしてきていない和博にとって、予習ページで指名される事は、遠慮したいことの一つだった。
「俺の所に来る時は、そんな用事しか持ってこないな」
そう言いつつも、咲也は和博にノートを手渡す。
和博は近くにある椅子を勝手に頂き、咲也の向かい側に座った。
「……予習・復習をしっかりしましょう…って、昔から嫌というほど聞かされなかったか?」
ノートを見ながら自分の教科書に書き写している和博を見つつ、咲也が言ってくる。
「復習はしてるさ。ただ、予習なんてさ…。自分が初めから知らない所を勉強しようとしたって、解らないに決まっているんじゃない?だから、知らないトコロを無理に勉強して嫌いになるよりも、学校でゆっくり教えてもらった方が良いと思ってね」
「そういうのを『言い訳』というのだよ…」
咲也が呆れたように言う。
「違う違う…。『俺の意見』っていうの」
「見方の違いだな」
咲也は和博を見ながら、感心したように言った。
「そーいうこと…」
和博は黙々と予習範囲を書き移していく。
咲也はその姿を気にもせず、本を取り出し読み始める。勿論、本の内容はいつもと同じだ。
いくらか時間が経ちふと咲也が顔をあげ、和博の方を見る。
和博の方は、もうそろそろ写し終りそうだった。
それを見計らって、咲也は和博に声をかけた。
「なぁ…和博」
「……んぁ…?」
和博は顔をあげずに返事だけ返した。
「ちょっと…話しをしても良いか?」
自分が読んでいた本を閉じながら言う。
「…あぁ…。でも……もう…少し…なんだ」
待っていてくれと言う。
和博は書きながら「大切な事か?」と聞いてくる。
咲也はそれに対して、特に重要なモノではないと、答えた。
「…終わったぁ。咲也、ありがとな」
教科書を閉じて返す。
感謝の言葉を受取り、「どういたしまして」と言葉をかえした。
「で?話って…?」
和博が尋ねた。
「変わった質問なんだが…」
その言葉から切り出した。
「ま、ある程度の事なら大丈夫よん?」
笑みを浮べ答える。
『変わった』と言っていたが、前振りだけではどこが『変わって』いるのか判らないから、先ずは聞いてみようと判断した。
「最近、変わった事はないか?」
真面目な表情をして何を言ってくるのかと思えば…。
「また…。変わった質問だなぁ………」
これが咲也の言葉を聞いた率直な意見だった。
突然変わった事と言われても、思いつく事といえば……。
あるには…あるのだが……。
でも、これを話しても本気にとってくれるかどうか。
「たとえば…どんな事を『変わった事』として話したら良いんだ?咲也」
その質問に対する答え次第で、言って良い事か悪い事なのかを判断すれば――…。
「それは、自分で決めてくれ。因みに俺に言わせてみれば…そうだな……今は特に無いからなぁ…。思い出さないが、いつもと違う事が起きればびっくりするだろう?予想できない事が起ったとかさ」
これといった例はあげなかったが、自分はそれを聞いて理解が出来た。
驚いた事を話せばいいと言ってくれたのだ。
咲也なら、それなりに対応してくれるのではないかと…、特別な理由はないが思ってしまった。
「びっくりした事なら…あるぞ?」
咲也はそれを聞いて目を細くする。
「ふぅん…。それは、どんな?……いや…当ててみせようか」
いつもとは違う薄い笑みを浮かべて不敵に笑う。
それがまた恐ろしくて。
「……」
黙って咲也の言葉を待った。
「水に関する事だろ…?」
驚いた。
言いたい事は正しくその事だったから。
言葉も出ない。
「か…かぁさんから聞いたのか?」
心の中で思っていた事が、口に出てしまった。
咲也はそれを否定する。
「ならどうして?」
「何故でしょう…」
答えを教えては…くれなかった。
ただ、『そのうち知る事になるかもな』と言うだけだった。
そして、呆れたように和博へ言った。
「おまえがそんな性格だから、遊ばれてんだよ」
「……悪かったな…」
言葉の意味は、いまいち解からなかったが自分が馬鹿にされている事だけは判った。
理由はどうあれ、この話が咲也の許容範囲だという事が解かったから、詳しく話す事にする。
「それがさぁ…。初めは偶然だと思っていたんだよ。でもなぁ―……。自分が風呂に入っている時だけ、突然水道水がおかしくなるんだ」
はぁぁ…と、深く溜め息を吐く。
咲也はそれを面白そうに聞いていた。
自分がこんなに悩んでいるのに、助けてくれる気はないのだろうか?
「おい…。せっかく話してるんだぞ?それに、もしもこれが自分だったら…って、考えてみろよ。突然水が錆付いたような赤い色になるんだぞ?」
和博は、少しは俺の身にもなってくれと、言っているようだった。
咲也はそれでも表情を変える事はしなかった。
聞けば聞くだけ和博が遊ばれているのだと、咲也には解かってしまうから笑いたくもなるのだ。
咲也はその話を聞いて、助けてやりたいという気持ちは十分あるさ…と、本当は思っている。
でも自分が出来る事といえば、和博の手助けをしてあげるくらいで…。
しかも、自分がここにいる本当の意味まで話さないと駄目な事だったりするから…。
お互いの為にも、慎重に事を進めていかなければならなかった。
「助けてやる事は出来ないな」
「そんなこと言うなよ…。話したんだからさ?」
この不思議な事を一緒につきとめてくれと、必死にせがんでくる。
「無いか?と言っただけで、助けてやるとは言っていないけど?……面白い話を聞けてよかったよ。ありがとう」
和博はそれを聞いた途端、今まで座っていた椅子から立ち上った。
表情を見ると、怒っている事がよく解かった。
どうやら、失敗したらしい……。もう少し時間をかけて、少しずつ説明していこうと思っていたのだが…。
「おまえ…。最悪だよ」
「その言葉には慣れている…」
和博の言葉に咲也は一瞬表情を変えたが、すぐに表情を戻し平然と答えた。
これまで幾度と無く耳にした言葉だ。その言葉を言われたくらいで傷付く繊細なモノは、自分の中にはもう存在していなかった。
それを聞いて、和博は更に怒りだす。
「…………慣れている、慣れていないの問題じゃないだろう?」
何とかしてくれるのではないかと、藁をも掴む思いで話したのだ。
ここまで突き放さなくても良いのではないかと思う。
「……そんな元気があるのなら、自分でも何とか出来るんじゃないか?今までは、ただ突然の事に驚いて、怖がっていただけだろう…?落ち着いて対応してみろ」
立ち上っている和博の腕を掴む。しかし、和博はそれを拒むように腕を振り払った。
「うるさい!……おまえは色々と解かっているから、そんな事が言えるんだろ?」
「あぁ…。知っているさ。だから和博…お前に話しているんだ。話しても良いのなら、全て教えてやるよ」
静かに言った。
いつになく冷静な素振りを見せる咲也を、和博は無言のまま見下ろす。
「…だがな。聞くからには、覚悟を決めるんだな。自分のこれからを左右する事だ。今のおまえがこれから先を予想して、最善だと思う…自分が納得できる選択肢を選べ」
真剣な眼差しを向けて咲也は言葉を続ける。
「無理強いはしない」
本当に言いたいセリフは違うものだった。
本当は『無理強いはさせたくない』というセリフを言いたかったのだが…。
これ以上自分の仕事の内容を曲げる訳にもいかず…。
所詮、雇われの身なのだ。決められた事に逆らう事など、到底無理な話であって。
でも、今までの過ごしてきた時間を振り返ると、自分がこの『森 和博』という人物を気に入っている事は十分理解出来る。
自分の意志でこちらに来ると言うのなら…。
その時は、喜んで迎え入れたいと…思っている。
だから、考えて欲しかった。
後悔をしないように――…。
「関りたくない事なら、さっき言っていたような事を全て無視しろ。すぐに無くなるとは言わないが、その内いつもの日常に戻っているだろうさ」
だが、それを和博が選んだら自分は……。
ここにいる必要性が無くなるのだが――…。
それでも、和博が選んだ事だ。自分に縁が無かったと思うしかないし、今までだって似たような事は数えきれない程あった。
これも慣れている事だ。
自分には十分すぎるほどの時間があるから、いつまでも待てる。
それに、自分には余程の事が無い限り時間はある。これが最後のチャンスだとは、全く思わない。
「時間はたっぷり預けるよ。幸いにも、これからはテストも無い事だしな」
今までずっと黙っていた和博は、未だに何も言えずにいた。
そんな中、咲也も立ち上がり教室を出ようとしているのか、扉へと向かおうと足を向ける。
「おい…咲也。…もうすぐ…授業が始まるぞ……。なのに、どこに行くんだ…?」
咲也はそれを聞いて和博を横目で見る。
「時間をあげると言ったんだよ…?」
先程からの事もあるが、咲也の喋り方がいつもと微妙に違う事に戸惑う。
今ここにいる『天野 咲也』は、これまで見てきたどれとも…あてはまらなかった。
「あ…あぁ。それは聞いたよ。だから……」
だから自分は、これからどこへ行く気なのかと、聞きたいのだ。
咲也は一度目を伏せ小さく息を吐く。
「気を利かせて欲しいな…。次は抜けるよ。聞かれたら、保健室に行ったとでも言っておいてくれ」
最後に「悪いな」と言葉を付け足してから、止めていた足を動かす。
咲也が授業をサボる姿を初めて見た。
もしかしたら、サボる人を見るのも初めてかもしれない。
何も言葉が出ないまま、和博はその背中をずっと見る事しか出来なかった。
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