【Y】 始まりの兆し
臨時で開校された講義も終わり、「また頼みたい」という言葉に丁重に辞退し、咲也は学校からやっと帰る事が出来た。
帰宅し扉を開けると、あかりの出迎えが待っていた。
「お帰りなさい、さくやくん。今日は遅かったね。……お手紙が届いてるよ…?」
あかりが銀色に輝く折り鶴を掌に乗せ背伸びし、咲也に向ける。
「やっと来たのか?……遅かったな」
「それだけ今回こそは…って、向うも慎重なんだよ」
あかりが笑って言う。
「ホントか―……?」
咲也が疑い深そうに、あかりに聞いた。
「う―…」
あかりが困ったかの様に、言葉を濁す。
「ん…?」
「たぶん…」
咲也の答えを促す様な問いかけに、『たぶん』としか返せない。
「まぁ…、いいさ。さぁ…ここで話すのもなんだから、部屋へ行こうか?」
背中を軽く押して、移動を促がす。
「ねぇ…」
咲也の隣にちょこんと座って黙っていたが、どの様な手紙だったのかが気になって、話しかけてきた。
しかし、暫くの間は何も答えてはくれなかった。
「これと一緒に何か箱が無かったか…?」
咲也が手紙に目を通し終えてから尋ねてきた。
「ハコ?」
あかりが聞き返す。
「そう。箱―…。…なかった?」
咲也がもう一度聞いてきた。
「はこ―…」
あかりが過去の出来事を思い出す。
自分がこの手紙を受け取った時に、どの様な行動をとったか―――。
「これくらいの箱だと思うのだが」
そう言って咲也は両手でサイズを示す。
「う――…ん……」
咲也はあかりが思い出すのを待っている。
「え―…っと……」
一生懸命思い出そうとするが、思い出せない。
「どうした?」
咲也が、いつもならこんな事は…と、事の不思議さにあかりの様子をうかがう。
「たしか…、無かったよ…?」
どう思い出しても、自分はこの手紙しかもらっていない。
「そうか…。悪かったな。在ることを前提とした聞き方になってしまって」
疑ってしまって悪かった…と、素直に咲也が謝る。
「でも…なんで?」
「『アレ』を俺から手渡す様に指示してあったからだよ……」
優しく答えた。
「え…。『アレ』を?」
あかりが意外そうに言う。
「あぁ」
簡単に答える。
あかりはそれを聞いて、もう一度考えた。
「そんなサイズの贈物は無かったよ?」
今度ははっきりと答えた。
「ありがとう……。解ったよ」
あかりの頭を優しく撫でる。
「に、しても…和博は―…。からかわれているのか…。気に入られているのか…。なんにせよ、興味は示してもらっているという事は、確かだな」
咲也は苦笑しながら手紙を握り潰した。
すると、その握り拳から銀色に光り輝く細かな砂が、サラサラと零れ落ちていき風に溶け込んでいった。
「今日は連絡だけみたいだな。『贈物』は後で届くのだろう…」
咲也はその流れ落ちる砂を眺めながら、そう言った。
「うわぁっ!」
和博は突然の出来事にびっくりした。
水道の蛇口から、赤い水が流れ出している。
「な―……」
いつまで経っても流れ出している。
今日初めて使うという訳ではなく、さっきから使っていたにも関らず…だ。
急な出来事に本当に驚くが、どうしようもないから先ずは蛇口を閉める。
「…どーしよう―…」
和博は自分の今いる場所を確認する。
今いる場所とは、自分の家の風呂場である。
「まっ…。いっか―……。今日はもう使わないし」
そう言って湯船に浸かる。
「はあぁ――…」
どう考えても、さっきの出来事は普通じゃない。
―…と、自分では思う。
「後で、母さんに言っとこ…」
お湯で遊びながら、自分ではどうしようも出来なかった事を伝えて、修理なり工事なり頼んでもらおうという考えに達した。
「どーしようもない事だしぃ―…」
言いながら、水面の動きに目を向けた。
風呂に入る事は結構好きで…、一日に二回以上は入浴している。
スポーツ…特にテニスを好む為、運動をした後に風呂場へ向かうから回数が多くなっていた。
湯で遊んでいると、入浴剤を使用して不透明な水面が波打つが…。その波打つ様子も、風呂の中で体験できる好きな現象の内の一つだった。
今使われている入浴剤は、暖色系の色をした甘い匂いを漂わせる物だ。
入浴剤は母親の趣味で選ばれている。
買っているのが、母親だからそれも仕方がない事なのだが…。
どちらかと言うと、和博は入浴剤に関してだけ柑橘系の香を好む。
「もう少し―…甘くなくてもいい…かな…?」
自分が動く度に微かに響く水の音を聞きながら、和博は呟いた。
ゆっくりとした心地良い時間から自分を通常のペースに引き戻し、母親の所へと向かった。
「母さーん」
部屋に入るなり、直に呼びかける。
「あら…、どうしたの…?」
夕飯の片付けをしていた母親は、その手を止めて和博の方を見た。
「風呂場の水道さぁ。壊れてないかぁ?…紅い色の水が出るんだけど…」
和博の言葉に母親は驚く。
「あら―…。それは、また…。じゃぁ、私も確認してみるわ」
それを聞いた和博は、「じゃ、よろしくね」と言って、その場を後にした。
その後、確認をした母親から、何もなかったとの事を聞く。
結局は、水道管に張り付いた錆が、何かがきっかけで流れ出したのだろうという事になった。
しかし、誰にも言っていないが…。
それからというもの和博が使う場合に限ってのみ、時々そういう現象が起るという…不思議な事が起るようになっていた。
こんな事、誰に言ったら信じてくれるのか――…。
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