【T】 数年前の出来事
小さい男の子を前に、一人の女の人が両膝をついて同じ視線の高さで向かい合っていた。
「これを持って行きなさい。あなたの役に立つわ。これは、私達からの最後のプレゼントよ。紫輝」
そう言って、手渡されたのは細かい彫刻が施された木の小箱だった。
「おかあさん…?」
「ごめんなさいね。今まで外にあなたをあまり連れて行かなかったのも、この日の事を知っていたからなの…。でも、それが逆効果だったなんて…。運命というのはここまでしっかりしている物だったのね」
優しく『紫輝』と呼んだ自分の子供を抱締めた。
いつだったか…。おかあさんは、今はここに居ないおとうさんの前で「私はもう泣かないわ」と言っていたのに……。
今は涙で顔を濡らしていた。
抱き締められている自分の肩が濡れていくので解ったのだ。
「さぁ…もう…、時間ね。ここまでねばったけど、もう…ダメみたい。あなたを守る為に、あの人は自分を盾にしたわ。なら…私もあなたを、絶対に守ってみせないと」
そう言って、紫輝からゆっくりと離れ、紫輝を背中へと隠した。
「……おかあさん…?」
もう一度その言葉だけを紫輝は口にした。
その声で後ろを振り向く。
もう…その瞳に、涙はなかった。
「………私達の大切な紫輝…。今のあなたが大きくなった姿を、見たかったわ」
そう、寂しそうに言い、だが、これが顔を合わせる最後のチャンスだといわんばかりに微笑んだ。
別れ際にもう一度だけ紫輝を抱締め、頭を軽くなでて行く。
「いまの…ぼく……?」
母親が自分から遠退いて行くのを追いもせず、そうかといって言う通りに逃げようともせず、ただじっと立ち尽くすだけだった。
母親の最後の言葉が、今の紫輝には理解する事が出来なかったのだ。
この後、紫輝は両親の努力も無駄に終り、捕まってしまう。
【U】 そして…現在
――ある研究所の一室にて――
数年前には表立ってしていなかったことも、今、現在は認められている(暗黙の了解となっている)事がいくつかあった。
その中には、『知能指数の高い子供は親の意見なしに、研究所が引き取り、教育させることが出来る』という、ある点から見ると悲しいものも存在している。
ある研究所の一室にも、数年前にそういう目にあった人物がいた。
名前は、月草 紫輝。
彼は連れて来られたのが『数年前』だった為、表に出してはもらえず、部屋の中に沢山の本と一緒に、一人で今まで生きてきて、そのおかげで知識の面は人並み以上だが、人生経験の面では、人並み以下という人間に成長していた。
外見は、お世辞にも小奇麗な格好をしているとは言えなかった。
少しばかり長い髪を後ろで一つに結び。前髪も少し長い為か、ヘアピンでとめている。服装においても、いたってシンプルにまとめていて、羽織っているのは汚れても良いように、よれた白衣だった。
なにしろあの日以来、誰とも自分は会っていないのだ。会うのは自分を両親から引き離した、ここの研究所の館長のみ。そんな環境にあるので、自分と同じ歳の人なんて知らなかった。だから、自分を格好良く見せようなんて、思った事もない。
自分のするべき事は、新しい物を創り出すことのみ。
それ以外は、何も知らないのだから仕方が無い。
紫輝は沢山の山積みになった資料を、一ヵ所に集めようとしたところ、部屋の中にある機械に繋がっているコードにひっかかってしまい、せっかく束ねた資料をばらまいてしまう。
「…ったぁ―…」
机に手を置き立ち上がる。その時、伸ばした指が何かにあたった。
「?」
何かと手に取り見てみると、いつか母からもらった木の小箱だった。
先刻まで見ていたにもかかわらず懐かしくなり、それを手に取り椅子に座った。
ふたを開けてみる。すると、音楽が流れてきた。
実は、オルゴールだったのだが、この時代そのような物はあまり存在していなかったのだ。その手の本が部屋に準備されていなかった紫輝にはこれを何と呼ぶのか分らなかったのだった。
「よし。今日やってみようか」
暫らくの間、数ヶ所音のとぶオルゴールの曲を聞いていたが、何かに決心したのかぐちゃぐちゃに散乱した中からドライバーを手にする。
「……ここのネジを開けて…。あ…ここもかな…?そして………これを…」
紫輝はオルゴールを解体し始めたのだった。
「あっ…ネジはこっちにとっとかないと…」
思い出したかのように、四方に散ったネジを一ヵ所に集め、どんどんと小箱の形を崩していく。
「………出来た…。へぇ―…こんなになってたのか……ふぅん…」
中にあった単純な構造をした銀色の機械を眺める。
「あれ…?これは…」
その機械の置いてあったスペースの隅に、小さいフロッピーディスクの様な物が入っていた。
四方八方から、その様子を覗ったが…。何時そして何故こんなモノが、この中に入り込んだのか解からない。
「これは、つい最近開発された記録媒体じゃないか?この箱は僕以外知らない筈だから、こんな所へある筈ないのに…」
散らかった部屋はそのままに、今、手に入れた記録媒体を自分専用のコンピューターにセットする。
「何か入っているのかな」
画面に出てきたのは、沢山の数字の列だった。
「…?……何だ…これ…」
画面に出ている先のデータにも目を通したが、莫大な数字の列の最後に、《パスワードを入力してください》という言葉が入っていただけで、他に変化はなかった。
「パスワード…?何だろ……で、他には……?」
フロッピーの中を、他には入っていないのかと調べてみるが、今の段階ではこれ以外、どう探してもないようだった。
「…これだけがヒントってことか?」
分らないままに、その長い数字の列を紙に写していった。その数字の量は果てし無く長いものだったのだが、何を思いついたのか途中でそれを止め、写していた紙をじっと見つめた。
この数字の並べ方を自分は知っているような気がする。
「………………これって……もしかして……」
紙の上の数字にペンをはしらせる。
「…でも…この方法は……」
解読方法が判ったのだ。
しかし、それは不思議な事に紫輝自身が、暇つぶしに考え出した方法だった。
まさか、そんな筈は…と、自分の頭の中では否定していても、心の中では、なぜか完全な否定へと導く事が出来なかった。
もっと他に、数字で暗号を作る方法がある筈ではと、考えたのだが……。
やはり、自分の中で思いつく限りの方法は、これしかないのだ。ならそれを、ひとつひとつクリアしていくべきだと思った。
「…し……き…へ……。紫輝へ?僕宛なのか…?」
今回のパスワードはこれのようだ。他の言葉は全く言葉にならない。
パスワードの欄に自分の名前『紫輝』を入力する。
勿論パスワードは『紫輝へ』だ。
カタカタと音をたてながら、次のページへ移る事が出来た。
しかし、そこに現れたのはまた莫大な数字の列。
「またかぁ…?一体何が隠されていて、こんなになっているんだ…………」
不思議に思いながらも、次の数字へととりかかる。そして、どんどん数字を解読していくうちに、またパスワードらしき単語が出てくる。
「次の言葉は…『かおり』…?…………何なんだ?この言葉は」
それを入力して、実行キーを押す。
媒体に入っていた情報を読んでいるらしい音をたてる。
新しく現れたのは普通の文章だった。
それを読んでいく。
読むにつれて、色々な事が判っていった。
初めに、これは誰が宛てた手紙なのか。…それは、この手紙の最初に書いてあったのだが、信じられない事に、これからの自分らしいのだ。しかし、次からの文章はいたって簡単だった。
どうもこれから先、色々な事が起るらしい。『何が』とは詳しく書かれていなかったが…。
そして、未来の紫輝は、次のような言葉を残していた。
『このフロッピーを見付けてしまった時から、運命の輪は回りだしてしまっていたのかもしれない。でも、何よりも忘れられない思い出になる事は、僕が保証しよう』
「ふぅん…、運命の輪…ねぇ。で……?………あった、なになに…?『最後に、全てを解くパスワードを教えてあげよう…』…ん……?」
目をとめてしまう。理由は次の文にあった。
『もしかしたら、ある意味これがこれからを決める最後の選択となるのかもしれない。』
紫輝にはこの文を読んで、パスワードを入力する事を考え直せとしか言っていないような気がして、しょうがなかった。
「…意味深だなぁ。さっきの文では、あの時点で、『運命の輪はまわりだした』とか言っておいて、ここでは『これからを決める最後の選択』と、言っている……。この幾重にもパスワードのかかった記録媒体の中心部……。そんなに凄い物なのか?」
そう言い、また現れたパスワードだと思われる数字の列を紙に写し取る。自分に止められている様だったが、今の自分の好奇心にはかなわなかった。
「ん?おかしいな…。これ、また数字が出てこないか?」
パスワードを入力する欄に、とまどいながらも長い数字の列を入れていく。
全く意味の解からない数列。
――パスワードが違います。
やはり違うようだ。
どうも、間違った解読方法をしてしまったらしい…。と、紫輝は思ってしまった。
「いままでの解読方法じゃ、駄目なのか?」
写し取ったメモを手に取り、しばらく考える。
考え付く方法を、片っ端から試してみるが、全く形を成してくれない。
「……………駄目だ。これ以上は考えられない」
お手上げ状態となってしまった。
はぁ…と、ため息を一つ吐いた所で、盲点だった所へ気が付く。
「…あっ…ちょっと待てよ……。…そうか!もしかして…言葉が出てくるまで、変換しろって事なのかな?」
そう言って、何度も同じ所を往復し始める。
全く…、こんな面倒な組み合わせを暇潰しとはいえ、考え出した自分が憎たらしい。
「くっそ―…、まだかぁ…?」
コンピューターのキーの上を、両手が滑るように動いていく。
「……やっぱりそうか…。しかし、なんでこんなにも変換を繰り返さないといけないんだ?」
ぶつぶつと言いながら、同じ作業を更に繰り返していく。
数回往復した後、やっと言葉が出て来た。
「……やっとか…。ワードは何だ?」
一言ずつ大きく距離がある為、別のスペースへ写していく。そして、出来上がった言葉が…。
「…『さいこうのぷれぜんとをあなたへ』…」
あまりにも意外だった為、声を出して読んでしまう。
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